独立するときに自分の強みを探しても仕方がないのです
2020/05/21
こんにちは!小山です。
私は現在「コーチ・コンサルタント独立プロデューサー」という肩書きを名乗っています。
随分長くて野暮ったい肩書きです。
「他にもっと良いのがあるんじゃないか」と思いながら今に至ります。
しかしなぜこの肩書きを止められないかというと、野暮ったいけど、何をするのかが明確だからです。
つまり私は、コーチやコンサルタントとして独立したい人の支援をしているわけです。
何事も「相手にすぐわかる」「イメージできる」というのはとても重要です。
こだわりのネーミングも、意味が通じなかったり、肝心なときに思い出せなかったりすると仕方がありませんので。
で、こんな肩書きを付けていると、「独立したい」という方々にたくさんお会いするわけです。
そういう人たちのここ数年のバズワードは「強み」と「才能」です。
・私にはどんな強みがあるんでしょうか?
・私の才能を活かして独立したいのです
・今の職場では私の強みを活かせないのです
・才能を発掘してワクワクしながら人生を過ごしたいのです
といった使い方をします。
この「才能」と「強み」がどう違うのか、とか、この言葉にみんなどんなに惑わされているか、という話はおいおい書くとして、今日は「強みを探す」という行為について考えてみます。
「あなたの強みを探す、活かす」という本や診断ツールがここ数年花盛りです。
私も使ったことがありますし、クライアントさんに勧めることもあります。
だいたい、このブログのタイトルもそうなっています(汗)。
で、その前提で書くのですが、あなたが独立(あるいは転職も)したいときに「強み」を探そうとしても仕方ありません。
なぜかというと、あなたが「強み」だと思っていることが本当に「強み」になるかどうかは、あなたが生きていく環境に左右されるからです。
その意味で、「才能」も誤解を招きやすい言葉です。
言外にとてもポジティブなニュアンスがあるからです。
私はむしろ、「資質」とか、もっと素っ気なく「人間としての凸凹」という言い方が好きです。
もともとそれは人としての凸凹でしかなく、そこに良い悪い、という価値判断は無いのです。
・ある人は○ということが自然に、上手にできる。しかし△はいくらやってもできない
・他の人は●ということが自然に、上手にできる。しかし○はいくらやってもできない
といった感じです。
つまり、そういうことです。
しかし、「強み」という言葉を使ったとたんに、絶対的に有利な「何か」のことを指す、と思ってしまうのです。
そして、自分自身の「それ」を探そうとします。それが不幸の始まりです。
卑近な例で恐縮ですが、地方都市の高校で秀才だった学生が、東大に入った途端フツーの人になるのは良くあることです。
あるいは「中小企業でエースと呼ばれている社員でも、大手企業に行ったら使い物にならない」というケースもあります。もちろんその反対もあります。
つまり、同じ資質でもそれを使う環境によって、あるところでは圧倒的な強みになるし、別の環境では何の役にも立たず、むしろ弱みになって足を引っ張る、ということがよくあります。
例えば「人を信頼して、フレンドリーに接する資質」は21世紀の日本では好ましい資質ですが、戦国時代であればあっという間に命を落としたでしょう。
また、同じ現代でも、日本のような平和な国ではなく内戦で苦しむ国に生まれていれば、この資質は災いする可能性が高いです。
また、「これからの時代は英語が必須」とか言われていますが、本当は英語なんて全く必要ない仕事は山のようにあるのです。
そんな職場でいくら留学経験があるとかTOEIC900点とか言っても仕方が無いのです。
もちろんあなたには「自分の強みはこれだ」と言える資質があるでしょう。
また、上司から「君の強みはこれだ」と評価され、実際に成果を上げていることもあると思います。
そのときに考えないといけないのは「自分のその『資質』を『強み』たらしめている前提条件は何か」ということです。
・大企業ですべてお膳立てされ、豊富なリソースに恵まれている中で仕組みをまわす営業がうまかったのか
・ベンチャー企業のグチャグチャな環境の中で自由自在に泳ぎ回るのが得意な営業だったのか
ここを読み違えると撃沈します。
そしてもちろん、これは独立起業する際にもよくよく考える必要があります。
前提条件が変われば、すべてがひっくり返ります。
「弱み」だと思っていたことが、反対に「強み」になることだってあるのです。
どんな環境であれば自分の資質を総動員して有利に戦えるのか、つまり「環境」と「資質」の掛け合わせの中でしか、「強み」を定義することはできないのです。