「人生の意味」について考えたことがありますか?
2016/12/25
こんにちは!小山です。
あなたは「人生の意味」について考えたことがありますか?
何のために自分は生まれて来たんだろう?
というようなことです。
私は時々考えます。小さい子供のときからです。
何となく現状に居心地の悪さを感じる、とか、もっと違う生き方があるような気がする、という場合が多かったです。
私は特に居心地の悪い子供時代を送ったので、余計そうだったのかも知れません。
しかしいずれにしても、それは決して悪いことではありませんね。
もうそろそろ次のステージに行った方が良いよ、という合図の場合も多いからです。
その都度、結論が出たかと言うと、そう思えた場合もあるし、そうでない場合もありました。
結局、タマネギの皮むきのようなものですね。
これで良い、と思っているとまた次の課題が現れる、そして方向を見直す、ということの繰り返しのような気がします。
それでも人生はどんどん進んで行くわけです。
「人生の意味」を考える時に、私達は無意識に答を探そうとします。
どこかに正解があって、それを探そうとするわけです。
実際、どこかにあるのかもしれません。
スピリチュアルの世界では、色々な表現でそれが語られています。
そして、そういった自分の「ミッション」や「神様との約束」というものをなんとかして探り当てようとするのです。
しかし一方、ある人がこんなことを言っていたのをとても印象深く覚えています。
(確か映画評論家の淀川長治さんだったと思うのですがうろ覚えです)
「人間は生まれた時に白紙の解答用紙を持ってこの世にやって来る。そして人生が終わった時に、『私はこんな風に生きました、これが答えです』と言いながらその解答用紙を提出することになっている」
まあ、結局同じことなのかも知れません。
でもね、「どこかにある正解を探すんじゃなくて、自分で答えを書く」というセンスは大事にしたいと思うんですね。
そうしないと、いつまでも自分探しを続けることになります。
あるいは、自分以外の誰かの言葉に振り回されるようになります。
「自分の人生は自分で意味付けする」と決めた時に、大きくものごとが動いて行くのかも知れません。