「やりたいこと」を探しても「人生の正解」は見つからないかもしれない
2020/05/21
こんにちは!小山です。
今日は朝イチのセッションまで少し時間があったので、近所のカフェに来てみました。
独立してスグの頃は、毎日のようにここに来て、ブログを書いていたのです。
当時はほとんど仕事がなかったので、タップリ時間が使えました(汗)
それ以外にも、セミナーの案内を個別に送ったり、交流会で知り合った人とお茶するアポを入れたり、と結構忙しくしたのです。
先が見えない不安はもちろんあったけど、「正しい方向に進んでいる」という感覚もあって、ちょっとしたワクワク感と、落ち着きがありました。
いい年をして「自分のやりたいことをやる」といって会社員を辞めたのは、要するにその頃やっていた仕事に満足できなかったから。
期待に応える自信がない、とか、難しい場面をハンドリングする能力がない、という自己否定がもとになって、逃げ出すように辞めたんだけど、結局それが出発点になって自分の道が見つかったわけ。
よく言われる事だけど、人生なにがどうなるかわからない。
自分の方向性を決める時に「自分のこだわり、ワクワク」と「社会的に良しとされていること」の板挟みになる人は多いけれど、実はどちらも間違う可能性がある。
どうしてもやりたい、と思っていた仕事が、やってみると全然違ってた、なんてことはざらにある。
責任を全うする、という「正しい」行いが、実は自分を含めて誰も幸せにしない、というのもよくあること。
まず前提として「絶対的に正しい道はない」と知ることだ。
私たちは無意識に「正しい道」を探そうとする。
「前世から引き継いだ今生の課題」とか「生まれてきた目的」を知ろうとするのも、その延長だ。
どこかに正しい答がある、と思っていて、それを探そうとする。
日本の学校教育がスピ産業を支えていると言ってもいい。
あ、とても皮肉っぽく聞こえるかも知れないけど、別にスピを否定してるわけじゃない。むしろ好きな方です。
ただ、結局最後は自分で決めることなんだな、と最近になって思うわけ。
どこかに用意されている答を探す人生の方がラクかも知れないけど、実は自分でその答を作るんだと思った方が、楽しくない?
そう考えると、そもそも「正解」かどうかなんて概念自体が消滅する。
自分としてどんな人生を作るのか、そのためにどの選択肢をとるのか、という事だけが残される。
今、迷っている人や悩んでいる人にとってはキビしいことかも知れない。
でもその迷いや悩みの前提が「正しい答をみつけたい」ということであれば、気をつけた方がいい。
間違った前提に基づいて判断する可能性が高いからだ。
「正解はない」「正解はない」「正解はない」と呪文のように呟いてから、自分の進む道を選ぶのがいいと思うよ。